レシュノ (Leszno)
レシュノ(Leszno、)は、ポーランド中部の町. ドイツ名リッサ(Lissa、1800年から1918年まではポルニシュ・リッサ (Polnisch Lissa) とも). 人口6万2200人(2021年). 1998年までレシュノ県の県都であったが、1999年にヴィエルコポルスカ県の所属となった.
レシュノが初めて記録に現れるのは、1393年のことである. 当時、この村はヴィエニアヴァ氏族のステファン・ズ・カルニナの所領であった. 中世ポーランド貴族の慣習にしたがい、一族は姓を地名に由来するレシュチニスキに変えた.
1473年から神聖ローマ帝国の伯爵位にあり、カルヴァン派に改宗していたレシュチニスキ家は16世紀初頭、ボヘミアを逃れて難民となっていたプロテスタントの共同体「同胞の団結」をレシュノに落ち着かせた. ボヘミアのプロテスタントだけでなく、近くのシレジアからやってきた織物職人も発展に寄与し、1547年にジグムント1世から特権を得て町となることができた. プロテスタント系コミュニティの活動のおかげで、レシュノは大ポーランドの印刷業の中心地ともなった. 三十年戦争でシレジアからドイツ人避難民が流入したため、その人口はさらに増えた. 当時、町ではボヘミアの教育家で「同胞の団結」の牧師をしていたヤン・アーモス・コメンスキー(コメニウス)がギムナジウムを開設していた. ドイツの詩人ヨハン・ヘールマンは、1638年から1647年に亡くなるまで当地に住んだ. 1636年から1639年にかけて、町は防衛力を強化し市域を拡張した. 1655年に大火が発生して、レシュノの黄金時代は終わった. 大北方戦争中の1707年にはロシアに焼き討ちされ、1709年には疫病が流行した. 1738年、2度目の王位を放棄したスタニスワフ・レシチニスキは町を売却し、レシュチニスキ家の支配に幕が下ろされた.
1793年の第二次ポーランド分割で、レシュノはプロイセン王国に併合され、リッサとしてポーゼン州に編入された. 1918年から翌年にポーランド大反乱が起きるとそれに加わり、ヴェルサイユ条約によって1920年1月17日にポーランド第二共和国に復帰した. 地元住民はポーランドの市民権を取得しなければならなかった. 1939年、町はナチス・ドイツに占領された. ポーランド人はポーランド総督府へ再定住することを強いられた. 町の大半のユダヤ人(レシュノに関係のあるユダヤ人にはレオ・ベックやリッサのヤーコプといった有名なラビのほか、ポーランド系ユダヤ人作家のルートヴィヒ・カリシュがいた)と残ったポーランド人は、ナチスのアインザッツグルッペンに虐殺された. ナチス・ドイツが壊滅した1945年、町は再びポーランドに復帰した. 戦後は急速に開発され、1975年から1998年には県庁が置かれた. 2000年には、欧州委員会から「姉妹都市の金星」賞を受賞した.
レシュノが初めて記録に現れるのは、1393年のことである. 当時、この村はヴィエニアヴァ氏族のステファン・ズ・カルニナの所領であった. 中世ポーランド貴族の慣習にしたがい、一族は姓を地名に由来するレシュチニスキに変えた.
1473年から神聖ローマ帝国の伯爵位にあり、カルヴァン派に改宗していたレシュチニスキ家は16世紀初頭、ボヘミアを逃れて難民となっていたプロテスタントの共同体「同胞の団結」をレシュノに落ち着かせた. ボヘミアのプロテスタントだけでなく、近くのシレジアからやってきた織物職人も発展に寄与し、1547年にジグムント1世から特権を得て町となることができた. プロテスタント系コミュニティの活動のおかげで、レシュノは大ポーランドの印刷業の中心地ともなった. 三十年戦争でシレジアからドイツ人避難民が流入したため、その人口はさらに増えた. 当時、町ではボヘミアの教育家で「同胞の団結」の牧師をしていたヤン・アーモス・コメンスキー(コメニウス)がギムナジウムを開設していた. ドイツの詩人ヨハン・ヘールマンは、1638年から1647年に亡くなるまで当地に住んだ. 1636年から1639年にかけて、町は防衛力を強化し市域を拡張した. 1655年に大火が発生して、レシュノの黄金時代は終わった. 大北方戦争中の1707年にはロシアに焼き討ちされ、1709年には疫病が流行した. 1738年、2度目の王位を放棄したスタニスワフ・レシチニスキは町を売却し、レシュチニスキ家の支配に幕が下ろされた.
1793年の第二次ポーランド分割で、レシュノはプロイセン王国に併合され、リッサとしてポーゼン州に編入された. 1918年から翌年にポーランド大反乱が起きるとそれに加わり、ヴェルサイユ条約によって1920年1月17日にポーランド第二共和国に復帰した. 地元住民はポーランドの市民権を取得しなければならなかった. 1939年、町はナチス・ドイツに占領された. ポーランド人はポーランド総督府へ再定住することを強いられた. 町の大半のユダヤ人(レシュノに関係のあるユダヤ人にはレオ・ベックやリッサのヤーコプといった有名なラビのほか、ポーランド系ユダヤ人作家のルートヴィヒ・カリシュがいた)と残ったポーランド人は、ナチスのアインザッツグルッペンに虐殺された. ナチス・ドイツが壊滅した1945年、町は再びポーランドに復帰した. 戦後は急速に開発され、1975年から1998年には県庁が置かれた. 2000年には、欧州委員会から「姉妹都市の金星」賞を受賞した.
地図 - レシュノ (Leszno)
地図
国 - ポーランド
ポーランドの国旗 |
北はバルト海に面し、北東はロシアの飛地カリーニングラード州とリトアニア、東はベラルーシとウクライナ、南はチェコとスロバキア、西はドイツと国境を接する.